今の私に必要なもの

「今一度、勉強をしよう」と思ったワケ…それは自分の脳ミソに<引き出し>の必要性を感じたからに他なりません。「そうかな〜?」で解決してしまう事もあったんですが、如何せん<事務職→今の仕事>に移動してきた伊織には右も左も分からない事だらけ。。。お料理だって「何を作りたいか」「どういう味にしたいか」が分かれば、お料理本だってある訳です。つまり<何が知りたいか?>というコトが分かる…その為には<おおよそどうなのか>という引き出しがないと厳しいのかも知れないと思ったワケです。言い換えれば、<誰に(何に)何をどう聞けば(求めていけば)自分が知りたい情報が得られるのか>知る術を勉学によって得ているというコトに他なりません。単純思考の伊織としては…


『足りなければ足せば良いじゃん…』


とばかりに、本当に気楽にはじめたわけですが苦戦しています。伊織の苦戦原因はテスト…受験の様に勉強目的に<完璧な状態の知識>というのがないので、テストには昔も今も滅法弱いです(-_-;)しかし昔から疑問だった事なのですが、何で完璧な回答が必要なんでしょうか。「何で?」と疑問を持つ事、ある事象が起こった経緯などで「なるほどー」「スゴイ」と思える事…等で<幅広く蓄積>していくことの方が大切なんじゃないのかなぁ…って思ったりします。完璧に瞬時に知識を取り出す事が出来ずとも、(専門性をウリにしている場合を除いてですが)<繰り返し>の中で知識の定着は可能かと考えますし、たとえ完璧であっても自分の知っている知識に100%固執してしまう方が今の伊織には怖く感じます。テストも攻略していく感覚があって面白くはありますが、<テスト>か<レポート10本>かを選択できるとしたら…間違いなく後者を選ぶと思います。大変だけど確実に問題に対して思考する時間が確保できるからです。


疑問を持ち、思考する段階を経て幅広く引き出しを増やす…それが今の私に必要な事だと思います。増やした引き出しの中に、今度は中味を入れる・精度を増す作業を増やす・専門分野を選択して追及する…いずれにしても、知識は増やすだけではなく<整理する>為に、まずは(脳ミソに)引き出しが必要なのです。伊織はまだ最初の引き出し作成段階。この方法が、そしてこの考え方が正しいのか…5年後ですら同じ事を言っていられるのか分かりませんが、今はそう思います。じゃ、テストは必要ないか?って…多分あるんだろうなぁ。。。(-_-;)だって必要なかったら、ずーっと以前に誰かがこの制度をなくしててもいい筈だから…(^^;