案外古風な一面

アクセサリーを作成されている方へ修理をお願いしてました。先日かえってきたので、お礼をしなくては…と思うことしきり。普通だったらメールでと思う所だけど、どうしても『一筆したためなくては〜』と何故か思うので、お礼状を兼ねたお手紙を書きました。この<一筆したためる>という行為は伊織には非常に手間と神経の要する作業…何て言っても悪筆ですから、私っ!!(>_<)季節のご挨拶状(暑中見舞いとか年賀状ね)でも、いつも泣きそうになりますから!!(苦笑)<書く>作業だけでもトロいのに、いつも『こんな事書いて、実は失礼だったらどーしよう。。。』とビクビクしてますから!!何度『なんでお稽古事に<手習い(お習字)>がなかったの〜』と大人になって思った事か。。。今更ながらに自分の乱筆ぶりが恥ずかしい限りです。


しかしながら、この行為はやはりメールにはない良さがあるように思います。メールは手間隙掛からず手軽に…というメリットは大きいのですが、一文字一文字に相手への思いを込めて丁寧に書く…というのは、<美>の中でもとりわけ日本独特の価値観の中に形成されてる気がします。平たく言葉にしてしまえば、『相手への思いやり』の表現って所でしょうか。(でもこのテの事を<平たく言う>のって、すごくNonsenseだと思う…)文面への気配りからも、こちらの教養度合いまで問われてしまうのだから、場面によっては怖いなぁ…とか思うのですが、きちんとしたお手紙やお礼状ってのは<相手を思う時間>というのは確実に存在するし、それが不思議と伝わるもので。ある時には<礼儀>という面にも通じてくる。遡れば<平安時代>から受け継がれてきた文化(←まぁ、平安時代までいくと<恋歌>とか<季節のご挨拶>とかのおてまみ交換が主流かな)でもあるんだな…と思うと、メールの手軽さや便利さによる普及もちょっと微妙かもしれないと思うのです。


相手を思う事は勿論、自分の成熟度が露呈してしまう機会…正直言って怖くもありますが、伊織はそれでも筆を取ります。伊織は様々な面で未熟で、今でも色んな方々にお世話になっています。せめて<筆を取るべき>時があったならば、至らない分は気持ちを込める…伊織なりの誠意の形かなと思ってみたり。<ありがとうございます>と<失礼を致しております>、<お願い致します>…案外、こんな感じの極シンプルな言葉や意味を身に付けることが<文化>を受け継ぐって言う事の土台なのかもしれない。。。もっと筆まめ美人を目指したいものです…(^_^;)