自分の中の<折り合い>ということ

本当は自分の携わるお仕事に対しては<きちんと>した成果を出す…という最低レベルの拘り位は持ちたい。これ本音のところです。ついでに成果物の性質によっては、全く違うものに感覚をスライドしてでも、<楽しく>無理せずに成果を出す…という荒技も繰り出します。(苦笑)>WFA・DFDなんかは良い例だ…(^_^;)でもあまりに奇奇怪怪な要求に対しては、上位者とのアグリーの元、その拘りとの<折り合い>をつけて<こなす>という事もしています。それは作業を楽にしている様で、実はメンタルを追い詰める作業でもあったりする場合も多々あるのです。「分からなければ上位者に放り投げろ」と気軽に言う人もいますが(これはその<上位者>に多い)、実際に放り投げる段になるとどうでしょう…?受け止めてくれる確率とthroughされて結局は自分に数倍の痛みとなって跳ね返ってくる確率…どちらが高いでしょう?事象に矛盾があるように表現されますが、結局は<折り合い>をつける事に合意するという事は「自分がどういう負荷・痛みにあっても耐える覚悟をする」と非常に類似しているように思えます。まぁ、自分の置かれている環境やグループ等の上位者の仕事のスタンス、気質等…いろんなもの全てに大きく依存してくることは言うまでもないのですが。。。


伊織は何事に対しても<普通>である事以上を望むことを自重するようにしています。<普通>の状態であれば、後者の痛み等は余程の場合でない限り個人ではなくグループ単位でshareし、結局は解決への糸口を見つけられるからです。でもね、この<普通>ってのが何気に難しい…<当たり前の事を当たり前にする>これほど簡単で難題な事ってないなぁ…と思うのですよ。(^^;